国際結婚相談 Harmony会員_2 レポート

国際結婚相談 Harmony会員_2が、チェコ女性との真剣な国際結婚までの軌跡を綴る、お見合い渡航レポート!現地情報も豊富です!

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「ハイドリヒ暗殺」その1

チェコスロバキアが1939年3月15日をもってベーメン・メーレン(ドイツ語でボヘミア・モラビア)保護領になってから1945年5月8日にドイツ軍守備隊の降伏によるプラハ解放までの6年間は、チェコ人にとっては屈辱と忍耐、ドイツ軍(国防軍及び武装親衛隊)に対する憎悪の時代でした。
保護領の初代総督はドイツ人貴族のコンスタンティン・フォン・ノイラート男爵が任命されます。
もともと良識派でヒトラーの領土拡大政策に異を唱えたノイラートは、チェコ人に対しても厳しい政策は取りませんでした。
チェコ国内に住んでいたユダヤ人およそ11万人は隔離され、プラハ北方のテレージン要塞や後のポーランドの強制収容所に送られますが、チェコ人たちは併合前と同じような生活が保障されました。
しかし徐々に若者や機械工などの生産労働者をドイツ本国に移住させ、チェコ国内の産業は全てヒトラーの第三帝国用に振り向けられます。併合2年目になると食料も完全配給制になり生活自体が逼迫してきます。
1941年のチェコスロバキア独立式典では、国内の大学が連携して教授や学生たちが中心となり、警備するチェコ警察やドイツ軍と衝突します。その後逮捕された教授や学生は500人以上が処刑されました。

この事件に怒ったヒトラーは、ノイラート総督を事実上解任し後任に武装親衛隊中将でゲシュタポ長官でもあり、親衛隊隊員からも「金髪の野獣」「第三帝国の斬首官」と恐れられたラインハルト・ハイドリヒを副総督としてプラハに赴任させます。
ハイドリヒは1904年3月チェコとの国境に近いザクセン州ハレの裕福な音楽一家に生まれ、10代でドイツ海軍に入隊後、通信兵から中尉にまで異例の速さで出世して我が世の春を謳歌していました。
元来女好きで幾人もの女性と関係を持ち、その中の一人がハイドリヒに結婚をせまりますが、これを拒否します。
この女性の父が武器メーカーの重役で、海軍中佐待遇の軍属であり、かつ後のドイツ海軍トップになるレーダー提督と親戚でした。
レーダーの逆鱗に触れたラインハルトは軍法会議にかけられます。心証が悪かった事も相成り、海軍を追放されてしまいます。
その後ガールフレンドの勧めで、親衛隊に入隊します。
親衛隊のトップでありヒトラーに心酔していたハインリッヒ・ヒムラーは、当時ナチスに敵対する人物や組織の情報を秘密裏に収集して軍や警察を動かせる部署を作ろうとしていました。貴族の叔父によりヒムラーに紹介されたラインハルトは20分間のテストの受け、見事その部署の責任者として採用されます。この組織が後のゲシュタポです。

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