国際結婚相談 Harmony会員_2 レポート

国際結婚相談 Harmony会員_2が、チェコ女性との真剣な国際結婚までの軌跡を綴る、お見合い渡航レポート!現地情報も豊富です!

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「旧市街」と「新市街」・・・その2

1938年4月、対チェコ作戦コードネーム「緑の件」が立案されドイツ軍に指示された。
もともとチェコスロバキアは第1次大戦後、ヴェルサイユ条約で戦勝国側の判断によって単に言語が同じスラブ系であるという理由だけで、人為的に創設された国家であった。


しかし、昔から神聖ローマ帝国の中心としてチェコ国内にはドイツとの国境沿いの地域に多数のドイツ系住民がいた。これをズテーテン・ドイツ人といい、ヒトラーの対チェコ戦略での決定的な駒となった。ゲッペルスの宣伝機関が「圧迫されているズテーテンのドイツ人同胞」と言う宣伝でチェコに圧力をかけ続けた。ヒトラーの戦術はチェコのベネシュ大統領個人を激しく攻撃する事により、国際世論に訴えることに集中された。ラジオと映画をフルに使って、ヨーロッパ中がチェコの「頑迷さ」の巻き添えを食うと恐怖を煽り立てた。1938年10月1日をズテーテン地方のドイツへの割譲のタイムリミットと設定した。驚いたイギリスはチェンバレン首相をドイツに派遣、ヒトラーをなだめるが、ヒトラーは次々と要求を競り上げて、今度はチェコスロバキアに全面降伏をせまる。というとんでもない展開になった。チェコ側が拒否すると、9月26日ベルリンのスポーツ宮殿で恫喝の仕上げ演説を行った。翌日、イギリスは海軍の全艦隊に動員令を発動、ロンドンでは防空壕堀も始まりフランスでは陸軍100個師団に総動員令は発せられ、ドイツとの戦争突入にヨーロッパ中が息を潜めたところ、9月28日ヒトラーは英・独・仏・伊4カ国の国際会議に同意し、29日ミュンヘン会談が開かれて、協定が結ばれた。これによりチェコスロバキアはズテーテン地方の全部を即時に無条件でドイツに割譲し、ハンガリーとポーランドにもチェコ領を譲り、さらにフランス・ソ連との相互援助条約も解消されてしまった。


当時、チェコスロバキア陸軍は28個師団の体制を誇り、優秀な自国製戦車を持つ機械化師団さえあった。空軍は少数ながらイギリスのホーカー・ハリケーン戦闘機や軽爆撃機を持っており、ドイツとの国境は堅固な要塞が連なっており、小国ながらドイツ軍とまともに戦えた国だと思いますが、リーダー(ベネシュ大統領)がだめだと国民が被害をこうむるの典型的な例でしょう。その後のチェコはドイツの言いなりになります。ベネシュは辞任して何と、国民を見捨てイギリスに亡命してしまう。後を継いだハーハ大統領ですが、ドイツに対して有効な政策を打てずに無駄な時を浪費します。翌1939年1月、スロバキアでチェコに対して独立運動が発生します。もちろんこれもヒトラーの秘密作戦が裏で糸を引いています。



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